ショパンと五線譜とわたし

私はショパンの自筆譜を観ている
今日は昨日と繋がっている
私の楽譜はショパンと繋がっている
ショパンの自筆譜は
繊細な線が美しい 

まるで絵のようだ

時には激しく時には穏やかで綿密である

そこには彼が生きた証がある

それはまるで音符の宇宙だ

自筆譜から聴こえてくるのは彼の声である 

その音は彼が求める理想である

それを私はどう再現し命を吹き込むか 

それは私が生きる証である

晴れの日も雨の日も

私とショパンの語り合いがある 

今日は明日に繋がっている

Czarna herbata

私は毎日紅茶を飲んでいる。

母も紅茶党で私もそれに習って紅茶が好きになった。

母と一緒に紅茶を飲んだ思い出がたくさんある。

私は紅茶の入れ方にこだわりがある。バリエーションも工夫して楽しんでいる。

ポーランドでも紅茶が親しまれている。ちょっと変わっているのは、ポーランドではミルクティーは飲まないそうだ、大人はレモンティーなのだそうだ。

紅茶の消費量は、ポーランドは世界の8位だ。日本はその次の9位だ。

湯気の向こうに見える母の笑顔とお菓子を想い出す。

ショパンが愛したクッキーを食べてみた。

ポーランドのクッキーは素朴な味で私は気に入った。

とても紅茶と相性がいいではないか。

 

PLACK

ポーランドのジャガイモ料理はプラツキといって、じゃがいもを摩り下ろして小麦粉を混ぜ卵と塩コショウで味付けて焼いたもので、ハッシュドポテト的なものだ。

ポーランドは、ジャガイモが主食であるそうだ。

様々な国の飢饉をジャガイモは救ってきた。そういう歴史もあり、ジャガイモは庶民に好んで食べてこられた。

きっと、ショパンも生家やワルシャワの住まいの家庭料理でショパン家の食卓にもジャガイモ料理が登場したのであろう。ショパンが幸せだった頃を思い浮かべるとポーランド料理が愛おしく感じられる。

彼の食べている様子を想像してポーランド料理を頂いてみる

 

 

 

Chleb polski

私が、ショパンの生家の隣にあるレストランで昼食をとったとき

ポーランドのパンは、コルネが一般的であるが、

私が、食べたパンは細長くて少し固めなものだった。

食事をしていて思ったのですがそのパンは

シンプルで料理に添えてあって

協調した感じのあるところが、私と

そこに同席した人たちを

思い浮かべると静かで居心地の良い場所に

似合うパンだったと思い出した。

次に訪れた時もそのパンにしようと思った。

のりもの

私がワルシャワ市内を歩いているとき、

路面を走る特徴のある のりもの に出会った。

連結されたその のりもの は、道路を滑るように数両走り抜けていた。

ワルシャワ市民の多くが日常的に利用するトラムである。

日本では路面電車が姿を消してゆく地域があるが、

やはり軌道を持った のりもの は、独特の風情を醸し出し街に似合う気がする。

ちょうどトラムの停車場が近くにあった、タイミングよくトラムが停車したので、私は子供のような気分で駆け寄って乗車した。

私はワルシャワの市電に乗って、その揺られ具合にワルシャワの市民になった気分を味わった。

次の停車場でトラムが停車すると、御婆さんが雑種犬を連れて乗って来た。

おやおや、犬の料金を払うわけでもなく、人間と同じように普通にしているではないか。

そこは日本とは違ってゆるやかである。なんだか和む。

私は、トラムの席に座り、窓から街の移り変わる建物や行きかう人々の表情を眺めた。

ワルシャワの人々の日常に触れることが出来てとても印象に残る乗車になった。

 

 

クラコフスキェ・プシェドミェシチェ通り

私はポーランド大統領官邸の前からクラコフスキェ・プシェドミェシチェ通りを歩いてみた。

すると、この通りがワルシャワの文化に沿った通りであることを見て取ることが出来た。

ショパンの住まいもこの付近であったな、と私は思いながら、石畳を一歩一歩、歩く。

この通りに立つと、その当時のショパンが行き来する姿が不思議と目に浮かんで来るのはな

ぜか、それは、たった今、私がショパンを演奏したからなのか、

ショパンの息遣いが自分の演奏に重なるようで、歩きながらも私はショパンを演奏している

かのような感覚にとらわれた。

 

1818年2月24日

初めてショパンが演奏会を開いた場所は現在ポーランド大統領官邸になっている。

ポーランドに来て私が初めてピアノ演奏したのはこの大統領官邸が

眺められる場所だった。

私は自分の演奏に責任を持つことを感じながら、その音色が聴衆へ届くよう想いをのせて奏

でた。