SikorkaとBocian

ポーランドのジェラゾヴァ・ヴォラで空高く鳴いていたシジュウカラの鳴き声が私の耳に残っている。とても鳴き声が響いて澄んで聞こえた。 ポーランドではシコルカ(Sikorka)と呼ばれている。 日本でもシジュウカラは馴染みのある鳥だ。 その姿は日本のシジ…

ベツレヘム・スター

私は3日程前に来年のカレンダーを2種類買った。 お気に入りのカレンダーは楽しい気持ちを運んで来てくれそうだ。 それから、もうすぐクリスマスだ。 ポーランドでも大事な宗教行事のひとつだ。 日本ではクリスチャンでない人にとっては、ひとつの商業ベー…

拍手

その日の私は聴衆としてホールに座った。 演奏者の気持ちになって聴くのが私の聴き方だ。 演奏するときは逆に聴く人の気持ちを考えるのが私のポリシーだ。 その日のコンサートは申し分のない演奏だった。 聴衆の拍手でホールは包まれ、私の手も拍手で痛いほ…

舞台に

ステージに上がる瞬間、芸術の何たるかを思い知る 聴衆の視線と期待を一身に受けて立つ 存在を確固たるものとして言葉にし、誇らしくも優美で、しなやかで、 雄々しく、その瞬間を芸術として提示しなくてならない 聴衆と演奏者の一体感が生まれた時 空気は張…

ポーランド犬と私

ハンナは犬を飼っていたことを思い出した、まだ小さな仔犬だから 早く帰ってあげないと心配だと言っていた。 私は犬と猫の両方を飼ったことがある。 そのほか、白文鳥も飼ったことがあった。 私は小型犬も大型犬も両方の魅力を知っている。 けれど、どちらか…

歩いて生きる

たまには日曜日の活気を貰いに街を歩いてみる。 歩くのがとても良い天気だと心も弾むというものだ。 街のお店を眺めたりしながら歩いていると 変二長調の曲が頭の中に流れて来た。 ショパンは嬰ハ短調と変ニ長調が好きだった。 名曲はふとしたことで私の心の…

文章は音色に

私は文章をポーランドで書いていた。 ポーランドの人たちと交流したさまざまな体験や思い出の残る出来事。 一つ一つの出来事が、一見その都度のことのように思える時もある。 けれど、それを繋げると何かがそこから見えてくる日が来ると思う。 記憶の新しい…

ショパンと五線譜とわたし

私はショパンの自筆譜を観ている 今日は昨日と繋がっている 私の楽譜はショパンと繋がっている ショパンの自筆譜は 繊細な線が美しい まるで絵のようだ 時には激しく時には穏やかで綿密である そこには彼が生きた証がある それはまるで音符の宇宙だ 自筆譜か…

Czarna herbata

私は毎日紅茶を飲んでいる。 母も紅茶党で私もそれに習って紅茶が好きになった。 母と一緒に紅茶を飲んだ思い出がたくさんある。 私は紅茶の入れ方にこだわりがある。バリエーションも工夫して楽しんでいる。 ポーランドでも紅茶が親しまれている。ちょっと…

PLACK

ポーランドのジャガイモ料理はプラツキといって、じゃがいもを摩り下ろして小麦粉を混ぜ卵と塩コショウで味付けて焼いたもので、ハッシュドポテト的なものだ。 ポーランドは、ジャガイモが主食であるそうだ。 様々な国の飢饉をジャガイモは救ってきた。そう…

Chleb polski

私が、ショパンの生家の隣にあるレストランで昼食をとったとき ポーランドのパンは、コルネが一般的であるが、 私が、食べたパンは細長くて少し固めなものだった。 食事をしていて思ったのですがそのパンは シンプルで料理に添えてあって 協調した感じのある…

のりもの

私がワルシャワ市内を歩いているとき、 路面を走る特徴のある のりもの に出会った。 連結されたその のりもの は、道路を滑るように数両走り抜けていた。 ワルシャワ市民の多くが日常的に利用するトラムである。 日本では路面電車が姿を消してゆく地域があ…

クラコフスキェ・プシェドミェシチェ通り

私はポーランド大統領官邸の前からクラコフスキェ・プシェドミェシチェ通りを歩いてみた。 すると、この通りがワルシャワの文化に沿った通りであることを見て取ることが出来た。 ショパンの住まいもこの付近であったな、と私は思いながら、石畳を一歩一歩、…

1818年2月24日

初めてショパンが演奏会を開いた場所は現在ポーランド大統領官邸になっている。 ポーランドに来て私が初めてピアノ演奏したのはこの大統領官邸が 眺められる場所だった。 私は自分の演奏に責任を持つことを感じながら、その音色が聴衆へ届くよう想いをのせて…

ショパンと小川とわたし

ショパンの生家の周りの公園には、小川が流れている。 その川は、他の川に繋がりそしてヴィスワ川に繋がっている。 ショパンは生後7か月ほどでジェラゾヴァ・ヴォラからワルシャワへ移り住んだ。しかし、彼はその後も時々、生家を訪れていたという。ショパ…

Wisła

ヴィスワ川の語幹は水だそうだ、それがヴォダとなり、ローマ時代のヴァンダル族の語源となった。 遠い昔のことを想いを馳せながら、この川の流れを眺めることで、私のイマジネーションがとても穏やかに広がっていくようだ。 それは深く遠くに向かってゆく光…

ヴィスワ川

旧市街を抜けるとヴィスワ川に出る、私が その大きな流れを最初に見たのは、 映画でした。 今は、こうして間近かに見ることが出来てなにか 言いたげなその河面を眺めていると 「映画のことは知っているのか」と、そこで河を眺めている老人に聞かれた。 「え…

Syrenka Warszawska

シレンカ=人魚は歴史地区のシフィエントヤンスカ通りから 入った旧市街広場の中央にある。 その日、広場はそれなりに賑わっていた。 ワルシャワのシレンカは矛と盾を持っている、私が子供の頃に絵本で読んだ人魚のイメージ とは程遠い。 このワルシャワの人…

お土産を探しに

洗礼者ヨハネ大聖堂をポーランドの人々が大事にしているということを強く感じた私は静 かに教会から出ることにした。 すると私たちとは逆にちょうど観光客が大勢入って来た。 ハンナはそれを見て、「こちらから出ましょう、私は近道を知っているから」と言い…

洗礼者ヨハネ大聖堂

ワルシャワ旧市街で忘れてはならない場所があります。 それは洗礼者ヨハネ大聖堂です。14世紀に建てられたワルシャワで一番古い教会です。 この教会に行ってみますか?とハンナから連絡をもらった私は迷わず行くことにした。 ここへ行けば、ワルシャワの人…

ショパン

私は、ここにいます ショパンが、生きていたとき彼は 現在の状況を想像できていたか 全てではないが、 ピアノに関しては想像できていたのであろうと 私は感じています 人間は変わることはできない 聖十字架協会に あなたの富のあるところに、あなたの心もあ…

2018.11.09 17:03 文化科学宮殿

ワルシャワ・ショパン空港に到着した時、ポーランドに初めて地を踏んだ私は、 空港の前で自分の写真を撮っていました。そこへ同じ飛行機で来た アメリカ人の夫婦がカメラのシャッターをきってあげるよと親切に私に話しかけて来た。 私はとてもいい感じで撮影…

Park Łazienkowski

Park Łazienkowskiワジェンキ公園で私はショパンの像を見ました。 柳の枝が風に流されているのは印象的です。 ショパンの生家の近くに柳の木々があったことからイメージが発想された銅像であるのか、 風に吹かれたショパンの髪も揺れていてショパンの心情を…

ワジェンキ公園の森で

ショパンを巡る旅もそろそろ終盤に近付いてきた。 そういえばワジェンキ公園にまだ行っていないことに気が付く。 ショパンがワルシャワにお別れした場所に私も行ってみることにした。 天気はまずますである。今日は案内は誰もいない。 私が車から降り立った…

ショパンの真実

歩き疲れた頃、ハンナがピアノが弾けるサロンがあるから行ってみませんか?と私に提案した。 ハンナに案内されるまま私はハンナに付いて行った。 そこは小さなサロンで、コンサートグランドピアノが置いてあった。サロンのオーナーがに こやかに「どうぞ演奏…

カジミエシュ宮殿

その日は、朝からワルシャワ市内のショパンが住んでいたことがある場所を歩いて回った。 私はポーランド人のハンナさんと一緒に歩いた。ハンナは身長が180㎝位で、金髪で青い瞳で 逞しく見える女性だ。私の手荷物を軽々「持ってあげる」と言った。話し方は控…

ワルシャワでちょっと贅沢ディナー

夕食はワルシャワ市内にある有名高級レストランでちょっと贅沢に食べることにした。紳士なポーランド人のお爺さんが出迎えて「上着をお預かりします」とにこやかに接客してくれました。旅の疲れもお爺さんのやさしい笑顔で癒されました。 メニューはポーラン…

Zelazowa Wolaの昼食

フレデリックは生家からほど近くに感じのいいレストランがあると言う。 絵本の中に出てくるようなメルヘンな佇まいのお店である。 中に入ると思ったよりもとても広い、偶然にもお客は誰もいない。 従業員はシェフとスタッフで10人程はいるだろうか。 丁寧…

星空の生家

私は、広い庭をのんびり散策して歩いていた。生家のすぐ近くに小川が流れていた。 昼間は鱒が忙しそうに泳ぎ、夜には蛍が川べりに歌を歌い、川面には夜空の満点の星が映っ たのであろう。 木々が風に吹かれる音や空高く響く小鳥のさえずり、澄んだ空気を肌で…

懐かしい気持ち

動物園のゲートのような門の前で私は車から降りた。 「自由に観て来てください」フレデリックが淡々と言った。フレデリックは庭を散歩するか のように別の方向へ歩いて行った。 この門を潜ると生家があるのだなと私は期待に胸を弾ませた。しかし門を潜っても…