SikorkaとBocian

ポーランドのジェラゾヴァ・ヴォラで空高く鳴いていたシジュウカラの鳴き声が私の耳に残っている。とても鳴き声が響いて澄んで聞こえた。

ポーランドではシコルカ(Sikorka)と呼ばれている。

日本でもシジュウカラは馴染みのある鳥だ。

その姿は日本のシジュウカラは白と黒のモノトーンでシンプルな美しさで日本画でもよく描かれている。

ポーランドのシコルカは胸の黄色い羽根毛がふわふわとして可愛らしい。

ショパンの聖地である教会で出合ったのがポーランドでは珍しくないコウノトリだ。

ポーランドではボチャン(Bocian)と呼ばれている。

日本では一時絶滅とまで言われていて、あまりお目にかかることはない。

それにしてもポーランドコウノトリはとても大きい。

驚くほど高い安全なところに大きな巣を作って上から私を見下ろしているではないか。

思わず、「あーコウノトリだわ!」と初めて何かを発見した子供のように私は指さして叫んだ。童心に返るとはこのことだ。

日本の春告げ鳥がウグイスだとしたら、ポーランドではコウノトリが春を告げる幸せな鳥と

言われている。コウノトリの巣の下でポーランドの子供たちが遊んでいた。

私は壁に今なお残る弾丸の跡を手でそっと撫ぜ、穏やかな平和と幸せを祈り教会を後にした。

ベツレヘム・スター

私は3日程前に来年のカレンダーを2種類買った。

お気に入りのカレンダーは楽しい気持ちを運んで来てくれそうだ。

それから、もうすぐクリスマスだ。

ポーランドでも大事な宗教行事のひとつだ。

日本ではクリスチャンでない人にとっては、ひとつの商業ベースの行事としてすっかり定着している。

私は、街が美しく飾り付けしたり華やぎだすと、もうすぐ今年も終わりが近づいたと身が引き締まるのである。

小さなころは家族でクリスマスツリーの飾りつけをするのが楽しみだった。

一番上の星を最後に飾るのは誰かでいつも姉妹でもめた。

すると、母親に「一番上のベツレヘム・スターはお父さんが飾るのよ」とたしなめられた。

飾り付けが終わり点灯するのはやはり父親と決まっていた。

そしてクリスマスに因んだ曲を家族で歌うのが恒例だった。

懐かしい思い出だ。いつからか、大きなツリーはもう飾らなくなった。

けれど、今年は小さなツリーのプレゼントを貰った。キラキラしたかわいらしいツリーだ。

それをピアノの傍に飾ってみようと思う。

拍手

その日の私は聴衆としてホールに座った。

演奏者の気持ちになって聴くのが私の聴き方だ。

演奏するときは逆に聴く人の気持ちを考えるのが私のポリシーだ。

その日のコンサートは申し分のない演奏だった。

聴衆の拍手でホールは包まれ、私の手も拍手で痛いほどだ。

曲の最後の音が消えるまでとその余韻の間、そのあと続く拍手のすべてがひとつの音楽となり演奏会が成功したかどうかが決まる。

感動的な演奏は次の日も心に残り、そして記憶にいつまでも残る。

私もそんな演奏を目指したい。

舞台に

ステージに上がる瞬間、芸術の何たるかを思い知る

聴衆の視線と期待を一身に受けて立つ

存在を確固たるものとして言葉にし、誇らしくも優美で、しなやかで、

雄々しく、その瞬間を芸術として提示しなくてならない

聴衆と演奏者の一体感が生まれた時

空気は張り詰め

曲を波にしてホールの隅々へ広げる

その時、はじめてそれまで気付かなかったことが現れる

 

ポーランド犬と私

ハンナは犬を飼っていたことを思い出した、まだ小さな仔犬だから

早く帰ってあげないと心配だと言っていた。

私は犬と猫の両方を飼ったことがある。

そのほか、白文鳥も飼ったことがあった。

私は小型犬も大型犬も両方の魅力を知っている。

けれど、どちらかといえば犬は大きい犬が好きだ、

おおらかで優しいハスキー犬がいた。

日本犬の代表が柴犬としたら、ポーランドの代表となる犬は、オフチャレック・ポドハランスキ、英国名ポーリッシュ・ローランド・シープドッグだ。

タトラ山脈の近郊で牧羊犬として飼われてきた歴史のある犬だ、現在は一般家庭の愛玩犬として飼われているそうだ。

性格は牧羊犬だったこともあり、勤勉で愛情深い犬だ。

犬は世話がたいへんだがそれ以上に犬から貰う愛情が大きい。

それにハマると犬と人生を共にすことが辞められなくなる。

私は今は動物は飼っていないので、道行く人たちの犬のお散歩に出合うと私も楽しい気持ちになる。

今日は何匹の犬と出合ったかな。

歩いて生きる

たまには日曜日の活気を貰いに街を歩いてみる。

歩くのがとても良い天気だと心も弾むというものだ。

街のお店を眺めたりしながら歩いていると

変二長調の曲が頭の中に流れて来た。

ショパン嬰ハ短調変ニ長調が好きだった。

名曲はふとしたことで私の心のご機嫌伺をしてくるのだ。

ワルシャワの街を交差する手の動きを思い浮かべながら歩くと

明日の私に会えるかもしれない。

文章は音色に

私は文章をポーランドで書いていた。

ポーランドの人たちと交流したさまざまな体験や思い出の残る出来事。

一つ一つの出来事が、一見その都度のことのように思える時もある。

けれど、それを繋げると何かがそこから見えてくる日が来ると思う。

記憶の新しいこともそうでないこともポーランドは、ショパンを通して

私にその何かを気づかせてくれる。

ピアノに載せて音色が消えないように今日も弾いてみよう。