ショパンと小川とわたし

ショパンの生家の周りの公園には、小川が流れている。

その川は、他の川に繋がりそしてヴィスワ川に繋がっている。

ショパンは生後7か月ほどでジェラゾヴァ・ヴォラからワルシャワへ移り住んだ。しかし、彼はその後も時々、生家を訪れていたという。ショパンもその小川を姉や妹と眺めたかもしれない。

私は生後1週間ほどで父の仕事の転勤で各地に移り住んだ。生まれたときの記憶はないが、時々訪れていた生家の近くには昔はきれいな小川が流れていた。夜は蛍がたくさんキラキラ歌を歌っていた。

夜空には満点の星が瞬き空気も澄んでいた。それを私は姉と一緒に眺めたりした。

彼の音楽が強くてやさいいのはそんなところから初まっているように私の中にも似た感覚が流れているのかもしれない。

私が、その小川を覗くと鱒が泳いでいた。

私もピアノを弾くとショパンの音に繋がっている。

だから、また弾いてみた

 

Wisła

ヴィスワ川の語幹は水だそうだ、それがヴォダとなり、ローマ時代のヴァンダル族の語源となった。

遠い昔のことを想いを馳せながら、この川の流れを眺めることで、私のイマジネーションがとても穏やかに広がっていくようだ。

それは深く遠くに向かってゆく光景だった。

ヴィスワ川の全長は1,047kmは、我が国の最長の河川である信濃川367kmの2.85倍の

長さで北へ流れ、バルト海へそそいでいる、信濃川も北に流れて日本海にそそいでいる

その名前に歴史を思う

 

ヴィスワ川

旧市街を抜けるとヴィスワ川に出る、私が

その大きな流れを最初に見たのは、

映画でした。

今は、こうして間近かに見ることが出来てなにか

言いたげなその河面を眺めていると

「映画のことは知っているのか」と、そこで河を眺めている老人に聞かれた。

「ええ、見ました最後の場面がとても印象的で

忘れられません」と私は答えた。

今も、どこかで起きていることですが

これから無くなるように祈るばかりです。

Syrenka Warszawska

シレンカ=人魚は歴史地区のシフィエントヤンスカ通りから

入った旧市街広場の中央にある。

その日、広場はそれなりに賑わっていた。

ワルシャワシレンカは矛と盾を持っている、私が子供の頃に絵本で読んだ人魚のイメージ

とは程遠い。

このワルシャワの人魚は勇敢で逞しそうに見える。ワルシャワ市民の魂の象徴のように今日

も街を守ってそこにいるのだ。

その心を観ようとしばし眺めていると、広場の喧騒は遠くに聞こえ、なぜだか静かにさえ感

じた。

この空間の何かが、何なのかいったい何処へ繋がっていくのだろうか、

それは私にしかわからない、そのなにかが私だけに降りてくるとき、そこにはある理由があ

るからなのである。

お土産を探しに

洗礼者ヨハネ大聖堂をポーランドの人々が大事にしているということを強く感じた私は静

かに教会から出ることにした。

すると私たちとは逆にちょうど観光客が大勢入って来た。

ハンナはそれを見て、「こちらから出ましょう、私は近道を知っているから」と言い、地元

民しか知らない細い暗い通路から出口に向かった。

私たちはすんなりと外へ出ることが出来た。

ヨハネの顔は印象的であったな、と建物を振り返り見上げながら私はため息をついた。

すると、私はショパンばかりを追うことに夢中になっていて、日本で待っている母のお土産

をまだ買っていないことにはたと気が付いた。

ハンナに相談すると、「それならポーランドで有名なネックレスがいいわね、」と教えてく

れた。

しかし、私には予算というものがあるのだ。

ハンナと旧市街のひなびた、いえ、風情のある美しい景観の商店街を私は歩いた。

しばらく行くと、小さな小物屋さんのようなお店に来た。ショウウィンドウにもたいして目

立つものも飾られていない。

「ここなら素敵なお土産がみつかると思うわ」とハンナは言う。

私は「こんにちは」と挨拶して中へ入った。

お店のオーナは落ち着いた上品な感じの中年女性だ。こじんまりとしたお店だがいいものが

ありそうだ。

「母のお土産を探している」と私が話すと、「いろいろネックレスならあるから観てくださ

い」と幾つか飾ってあるものと、引き出しの中からもオーナーが出してきて見せてくれた。

私の母は体が大きい。

「大きい方なら大きい石が似合いますよ」と豪華なネックレスを勧められたが、大きいとい

うことは値段も高くなる。本物であるから仕方がない。

私は母の喜ぶ顔を想像しながらなかなか決まらない。

結局、本物であり小ぶりでも質の良いものを予算内で決めた。

母は高価なものを欲しがる人ではない、要は気持ちが大事なのだと自問自答したが、私はた

いして親孝行ができない自分を責めたりもした。

ハンナはそんな私の様子を見て、「いい買い物ができて良かったわね、ちょうどいい大きさ

だと思うわ。きっとお母さんは似合って喜んでくれるわ」と私の気持ちに寄り添い胸を撫で

おろした。

 

洗礼者ヨハネ大聖堂

ワルシャワ旧市街で忘れてはならない場所があります。

それは洗礼者ヨハネ大聖堂です。14世紀に建てられたワルシャワで一番古い教会です。

この教会に行ってみますか?とハンナから連絡をもらった私は迷わず行くことにした。

ここへ行けば、ワルシャワの人々の本当の姿に会えると思った。

ハンナからここはワルシャワの人々が最も大切にしている場所と聞き、

私は教会に入る前に心して入らなくてはならない神聖な場所であることに緊張した。

神妙な面持ちで私は教会の中へ足を踏み入れた。

想像以上にそこには言葉で言い表せない空気が漂っていた。その空気感はいままでどこにも感じたことがない重い空気である。

ポーランドの人々が思い思いに祈りを捧げている、その邪魔をしてはならないと思い、私も厳かな気持ちで息を潜めるように礼拝堂の中を見て回った。

教会といえば苦しんでいるキリストの姿が思い浮かぶが、この洗礼者ヨハ大聖堂ではヨハネの慈悲深い顔に逢えた。

ショパンもここを訪れたことがあったのではなかろうかと私は更に思いを深くしたのであった。

 

 

 

 

ショパン

私は、ここにいます

 

ショパンが、生きていたとき彼は

現在の状況を想像できていたか

全てではないが、

ピアノに関しては想像できていたのであろうと

私は感じています

人間は変わることはできない

 

聖十字架協会に

あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ

とある

マタイによる福音書6章19-24節《「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。/富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。/あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」/

「体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、/濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう。」/

 

「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」》。