2018.11.09 17:03 文化科学宮殿

ワルシャワショパン空港に到着した時、ポーランドに初めて地を踏んだ私は、

空港の前で自分の写真を撮っていました。そこへ同じ飛行機で来た

アメリカ人の夫婦がカメラのシャッターをきってあげるよと親切に私に話しかけて来た。

私はとてもいい感じで撮影をしてもらい良い思い出になるなあと心が嬉しさで和やかになった。

私は空港からホテルまでアメリカ人の夫婦と同じバスであった。

空港からワルシャワ市内までしばらく渋滞の中を行くと

遠くのほうに先端の尖ったビルが私の目に飛び込んで来た、なにか威圧感のある

建物だなあと感じた。

近づくにしたがって大きさがリアルになっていった。

そうその建物こそがかの有名な文化科学宮殿だったのだ。

Park Łazienkowski

Park Łazienkowskiワジェンキ公園で私はショパンの像を見ました。

柳の枝が風に流されているのは印象的です。

ショパンの生家の近くに柳の木々があったことからイメージが発想された銅像であるのか、

風に吹かれたショパンの髪も揺れていてショパンの心情を表していることを感じてました。

私がベンチで腰を下ろしているいると時間が止まってみえる風景で赤いバラの花々と私だけが息をしている場面でした。

いろいろな角度でこの銅像がある場所を見て歩いてみた。

その昔、ショパンがこの地から新天地に向けて出発したのであることを私は思いだしつつ、

私の網膜から飛び込んできた映像を脳に反映したものを言葉や文章にし、その内容を

新たに私のフィルターを通して此処で書くことが出来て、私は音楽をピアノを続けていて出

会えたことにしあわせを感じている。

私はこの物語の世界にこれからも入っていけることに期待しているのです。

 

ワジェンキ公園の森で

ショパンを巡る旅もそろそろ終盤に近付いてきた。

そういえばワジェンキ公園にまだ行っていないことに気が付く。

ショパンワルシャワにお別れした場所に私も行ってみることにした。

天気はまずますである。今日は案内は誰もいない。

私が車から降り立った場所は公園の正面ではなかった、運転手さんも全くショパンに興味がなさそうで公園に何をしに来たのだろうかという反応である。

降ろされた場所からショパンの像まで辿り着くまでが長かった、1時間は歩いたか、公園というよりジャングルの中を歩いて、すれ違う人もほとんどいない、これはもう遭難か?と不安になったところで警備で巡回している警官を偶然みつけて道を尋ねた。しかし、それでも警官ですらショパンの像は知らないと言う。警官までが地図を広げ始める始末だ。私はショパンに興味がない人もいるのだとようやく認識した。

後で分かったが、降ろされた場所が一番遠い場所だったようだ、そういうこともあるのだ。

しかし、その御蔭か?森の中をほぼ全部制覇したのではと思うくらい歩いた。道を

時折すれ違うポーランドの人に尋ねたり、それはそれで人との触れ合いがあった。

遠回りはたいへんだが、いいこともあると言い聞かせて、もう足が前に出ないと思った頃にようやくショパンの像が見えて来た。まさか公園で山歩きをさせられるとは想定外であった。

しかしながら、ポーランドの樹木と人々に出会って、そのワルシャワの息吹を感じ取り、ワルシャワ市民から流れる血とリズムに民族の違いを感じることが出来たのは

私にとってショパンとはこの地でありこの空間と時間を超えて

私の中に流れる音楽に同じくするものを持っていることを確認することが出来ました。

ああ、分かり合えるとは素晴らしく輝かしいことです。

 

ショパンの真実

歩き疲れた頃、ハンナがピアノが弾けるサロンがあるから行ってみませんか?と私に提案した。

ハンナに案内されるまま私はハンナに付いて行った。

そこは小さなサロンで、コンサートグランドピアノが置いてあった。サロンのオーナーがに

こやかに「どうぞ演奏なさってください」と私に言った。

ピアノを見たとたん、私は旅の疲れも忘れて久しぶりの友に逢ったような気分になった。

私は、ハンナにお礼がしたくなりショパンスケルツォをウォーミングアップなしで、椅子

に座るや否や直ぐに演奏をした。

私は夢中で演奏した。演奏はあっと言う間に終わり気が付くとポーランドの人が何人か集ま

って来ていて拍手をくれた。ハンナは興奮気味に拍手をしながら私に駆け寄り「あなたはき

っと有名な人です、ショパンコンクールに出るのですか、あなたは素晴らしいです」

ハンナの期待の目に私はどう答えていいか困ったが「いいえ、私はショパンコンクールには

出ませんよ」と少し照れながら笑って答えた。

するとハンナは「ごめんなさい、ごめんなさい、私はあなたの心を傷つけました。

本当にごめんなさい、許してください。けれど、あなたの演奏に私は心を動かされました。

私は、あなたのような素晴らしい人と出会えて光栄です。」ハンナは真剣な目で語り私の手

を取り私にお礼を一生懸命に述べるのであった。

ハンナの真剣な気持ちと純粋さが私の手に伝わった。

演奏するとはこういうことなんだと私は新めて感じた。そしてハンナの言葉に隠されていた

ポーランドの人の心を知って私は心が洗われたのだった。

私はハンナに教えられた、ショパンは誰のものでもないのだ、ショパンショパンを愛する

心のある人たちのものである。

演奏家はそれに寄り添い、どれだけの表現ができるであろうか。口で言うのは容易いがそこ

が簡単ではないのだ。

カジミエシュ宮殿

その日は、朝からワルシャワ市内のショパンが住んでいたことがある場所を歩いて回った。

私はポーランド人のハンナさんと一緒に歩いた。ハンナは身長が180㎝位で、金髪で青い瞳で

逞しく見える女性だ。私の手荷物を軽々「持ってあげる」と言った。話し方は控えめ性格は

穏やかでやさしい。一人暮らしで寂しいから子犬を飼っていると話した。ハンナとゆっくり

散歩をしながら、ショパンの住んでいた場所の建物を眺めて回った。ショパンは生家の後、

サスキ宮殿 カジミエシュ宮殿 チャプスキ・クラシンスキ宮殿に移り住んでサスキ郵便局

を最後にパリへ渡ったのだった。     

ワルシャワでちょっと贅沢ディナー

夕食はワルシャワ市内にある有名高級レストランでちょっと贅沢に食べることにした。紳士なポーランド人のお爺さんが出迎えて「上着をお預かりします」とにこやかに接客してくれました。旅の疲れもお爺さんのやさしい笑顔で癒されました。

メニューはポーランド料理のフルコースディナー、ポーランドはスープが豊富で有名である。

Dubarry cream with lemon and basil emulsionは、身体の中から温まるやわらかなおいしさで素晴らしい

Loin of venison with truffle liqueur Sturgeon fillet with herbal beurre blan

珍しいお肉で柔らかで旨味のある料理でした

Sturgeon fillet with herbal beurre blanc

魚は大きくて食べ応えがあり柔らかくしっとりした触感でやさしい味でした

Almond brownie  

ウェイター・キャプテンが、わたしの為に選んでくれた可愛いデザートのチョコレートとイチゴのケーキでした

店内の雰囲気は、ほの暗くシャンデリアと間接照明で宮殿の中のようなインテリアだ。ほぼ満席で、ポーランドの人々で賑わっていた。私は食事を堪能しながら、ショパンポーランドのやさしい味が恋しかったのではなかろうかとふと思うのであった。

Zelazowa Wolaの昼食

フレデリックは生家からほど近くに感じのいいレストランがあると言う。

絵本の中に出てくるようなメルヘンな佇まいのお店である。

中に入ると思ったよりもとても広い、偶然にもお客は誰もいない。

従業員はシェフとスタッフで10人程はいるだろうか。

丁寧にスタッフが出迎えると、フレデリックは「それではごゆっくりどうぞ、私は外で待っ

ていますから」と車に戻ろうとした。

私は「あなたは昼食はどうするのですか?」と尋ねた。

フレデリックが「ポーランド人は昼食は取りませんので、気になさらないでください」と答

えた。

私は驚いて、「では朝食はしっかり取るのでしょうね」と続けて話すと、

ポーランドの人は朝が早いので午前中に2回食べるのです」フレデリックは答えた。

「あなたがもしよければ一緒に食事をしてもらえませんか?」そのように私が言うと、

フレデリックは「わかりました、いいですよ」とだけ言った。

スタッフにメニューを尋ねて、お薦めのスープと鱒のポワレとパンを頼んだ。

お店の中はとても静かだ。

フレデリックは籠もりで来たパンをエレガントに食べた。